過去のコラムより
06.10.10
窯の移動や移設を時折請け負う。今回は日本製電気窯15キロワットだ。長距離の上に現設置場所と移動先の設置条件が考えられないほど厳しい。窯の重量は約900キロ。
某月某日
1トンのパワーゲートを準備して工房から窯を運び出す。これは雨も降っていた為に、ぬかるみの土で足場も悪く、工房から道路まで取り出すのに7人で6時間かかる。
まずヒュース・テン特製のキャスター板を2枚準備し、窯の足をジャッキで片側ずつ持ち上げてキャスターに乗せる。窯場からやや坂になっている地面に合板を 敷詰めてそろそろと移動を始めると24ミリの合板がメリメリと音をたてて一つのキャスターが沈み込む。地面が平でないために3枚敷かないと板が重みでし なってしまい動かないとわかって合板を買い足しに走る。
キャスター 一個の許容加重が400キロなので一枚に5個使い2トンに耐えるキャスター板を2枚使用、合計4トンに耐えられる計算だが、窯を乗せてでこぼこの地面を移 動させるのはキャスター板にとってもかなりつらい。わずか5ミリの板の段差でもその下のぬかるみが影響して押す人間はへとへとになる。
雨が一時激しくなり、人間は泥まみれになりながら窯にビニールシートをかけて濡らさないよう最大限の注意を払う。30cm、50cm、と進みようやく道路 まで運び出し、パワーゲートをバックで寄せていざゲートに全員で乗せる。ゲートを操作するがウィーンと音をたてて、ゲートは上がらない。エンジンをかけて やってみる。やはりゲートは全く動く気配を見せない。何かがおかしい。
近隣からフォークリフトを扱う人に来てもらう。フォークリフトで片方をゲートにかけてもちあげ、両方の力で何とか持ち上げられないか?1トンのフォークリ フトを扱うその人はフォークリフトではかなり窯を傾けて持ち上げることになりレンガが痛む可能性がある、という。近隣の人も含め10人ほどであれこれ意見 を出すがやはりフォークリフトでは無理という結論になった。
レンタ カーの会社に電話する。もう6時過ぎてかなり暗くなっている。作業する人間も疲れ果てている。いろいろ調べてもらいやっとわかったことは、このパワーゲー トが600キロしか対応しない、ということだった。これは夢にも考えられない事だった。実際に1トンまでOKという確認を何度もして借りたのだ。まさか車 自体が600キロしか許容加重がないなどと想像もしなかった。担当の人自身1トンと信じて疑っていなかった。担当者も責任を感じてあちこち車を手配してく れるがすでにしまっている会社も多い。
やっとクレーン車を扱ってい る会社を見つけたと連絡が入る。車で20分離れた会社までクレーン車を見に行く。するとクレーンは車体床から1.3メートルしか高さがない。それでは 1.5m高の窯は乗せられない。結局、日を改めて車と人を手配し、移動させようと決める。幸い道路は庭の延長のような私道で窯をすみに置く事ができる。雨 がかからないよう、保管中に事故がないように注意して道路際の家に寄せて置く。みんな汗と泥と雨でぐったりと疲れた、事故がなかったことはありがたい。
某月某日
保管中は窯が心配で何度か様子を見に行く。やっと人と新たなパワーゲートを手配できて移動の日がきた。今度は正真正銘の1トンのゲートを持つ4トントラックだ。宅急便のトラックが普通2トンだから、4トン車はまさに「巨大」でしかもトレーラーのように長い!
今回はトラックが大きすぎて私道に入らないため窯をキャスターに乗せたまま大通りまで移動させる。そしてパワーゲートに乗せる。といっても簡単に事が運ん だわけではない。窯の重量でゲートになかなか乗せられないのだ。ゲートは坂になっていて乗せたと思うとゲートのストッパーが外れて、という繰り返しの末、 ジャッキを使い人力を使い知恵を使ってやっとトラックに乗せた。
5時近くになっていた。トラックには2人しか乗れないので他にワンボックスとの2台でそのまま関越へ。みんな力を出し切っているので安全をみて上越で一泊。翌朝石川県へ向う。
窯の移設先は保存建築物で昔の蔵を改造した工房。蔵への入り口は蔵特有の大きな登り框がある。これはいくら何でも乗り越えられない。そうかといって屋内の 作業なのでクレーンなど使いようもない。せめて全面の扉をはずして、と窯の扉を解体し始めるとこの扉自体が途方もない重さである事が判明。扉だけでも男性 4人では受ける事もできない。前面扉だけで3、400キロはあるのではなかろうか。半端な重さではない。日本の窯はなんて重いのだ!!重いなんてもんじゃ ない。少しは軽く作る努力をすれば良いのに、と、こんな事を言うとどこからか怒られそうだ。
ジャッキで窯の両足の高さを徐々にそろえて上げて行く。50cmもの框の高さにしてからスライドさせて窯の片足を框の向こうに移動させる。しかも框は階段状になっていて幅が1メートル以上ある。そこを超えなければならない。
幸い天井に太い梁が残っている。そこに1トン用のロープをかけ、窯の片方を通す。名前は知らないが重量物を留める時に使用する大きな金属の道具でギコギコ とロープを引いて少し窯が持ち上がる。そこで窯の足を1メートルの框をまたがせる。そして10cm移動。反対の足にロープをかけ直しまたそろそろと進め る。慎重にそれを繰り返し、両足の高さをそろえやっと向こう岸に渡らせる。またジャッキで数センチずつ片足をおろしていく。こんな事をそろそろじわじわと 果てなく繰り返し、途中で窯が傾きかけてあやうく業務災害になりかねない状況に会いながらフーっ、ロープをはずして窯場にやっと移設完了。
午前中に作業を始めてからまた夜になってしまう。このまま帰路につくにはみんなあまりに疲労困憊していて運転も危険だ。幸いそこの家は広さが十分で母屋に 泊めてもらうことになった。そこで東京組5人は近所のお風呂屋さんで汗をながし、食事を済ませて仮眠。保存建築物の母屋には祖先の遺影がじっと見下ろして いる。広ーい畳があるのに私たちは何となく怖くて男女5人一部屋に固まって寝る事にする。夜中2:30起床、3時出発。
途中で夜が明ける。空いていて走りやすい。誰も怪我をすることもなく、無事作業を終える事が出来たのがありがたい。でもつくづくと思う。窯を移動できない のでこのまま残して行く、とか新しく窯を買うほうが現実的だ、という声を良く聞く。それが今理解出来る。無理もない、人と手間と時間、費用を考えたらこん な作業を普通は受けないだろう。
けれど一方で思う。使い慣れた、思い入れのある窯、自分が初めて持った窯、作品を生み出し続けた窯。自分そのものの時を刻む窯。私だって、場所をとると顰蹙を買いながら日本の窯を手離せないでいる。
窯の移動はどうしたって利益にはならない。今回は大きく持ち出しになった。でもお客さんの気持ちはわかるし、出来る時には引き受けよう。
この移動にはまだオチがある。帰りの北陸自動車道でのことだ。夜が明けた頃、名立谷浜のサービスエリアでガソリンの補給をした。4トン車の左にガソリンス タンドを挟んでワンボックスを止め給油を見ていた。トラックの給油が終わり今度はこちらのワンボックスにガソリンを入れ始めた。何気なく見ていたら、ト ラックがエンジンをかけるなり、運転席の下が火を噴いた。
ガソリン スタンドの人は見て見ぬふり、知らん顔している。エンジンがかからず、運転していた技術の加藤さんが降りてくる。「今、火が出た」と知らせると彼は運転席 の下を点検する。そうしたらやっとスタンドの人が「今火を噴きましたね」と。そして他の車が来るからもっと先に移動して点検しろ、と言う。加藤さんが運転 席にもどりもう一度エンジンをかけるともっと大きく火を噴いた。私は思わず、「危険な事がわかっているのに移動させるなんておかしいんじゃないですか?」 と言い、さすがにスタンドの人も今度は何も言わない。
結局加藤さん がトラックの下に潜りバッテリーターミナルのネジが緩んでいて溶接と同じ状態になったとわかった。半分溶けかかったターミナルを工具を出して締め直す。 バッテリーはガソリンタンクのすぐ近くにあるのだから大きな事故になった可能性もある。ガソリンスタンドの人は高速を走る車の、とはいわないまでも自分の スタンドに立ち寄った車に対して安全を見守る責任があるのではないか。幸い大事にはいたらなかったものの、私が見ていなかったらあのままトラックを行かせ たのだろうか。もう一度エンジンをかけたら危険な事を承知で、しかも明け方の誰も他にお客さんのいないスタンドで移動させろ、と言うだろうか。朝で不機嫌 なのはいい。そんな事は関係ない。でも職業に対する真摯さと責任感が欠けている、とおおいに憤慨したことだった。
最初の、ゲート重量不足のトラックに始まり行きにはワンボックスのラジエータの加熱、帰りはトラックのバッテリーターミナルの発火、ハプニング続きだった。その中で誰も怪我がなく、無事に設置できた事は何よりうれしい。でも900キロって半端じゃない。
06.10.10
窯の移動や移設を時折請け負う。今回は日本製電気窯15キロワットだ。長距離の上に現設置場所と移動先の設置条件が考えられないほど厳しい。窯の重量は約900キロ。
某月某日
1トンのパワーゲートを準備して工房から窯を運び出す。これは雨も降っていた為に、ぬかるみの土で足場も悪く、工房から道路まで取り出すのに7人で6時間かかる。
まずヒュース・テン特製のキャスター板を2枚準備し、窯の足をジャッキで片側ずつ持ち上げてキャスターに乗せる。窯場からやや坂になっている地面に合板を 敷詰めてそろそろと移動を始めると24ミリの合板がメリメリと音をたてて一つのキャスターが沈み込む。地面が平でないために3枚敷かないと板が重みでし なってしまい動かないとわかって合板を買い足しに走る。
キャスター 一個の許容加重が400キロなので一枚に5個使い2トンに耐えるキャスター板を2枚使用、合計4トンに耐えられる計算だが、窯を乗せてでこぼこの地面を移 動させるのはキャスター板にとってもかなりつらい。わずか5ミリの板の段差でもその下のぬかるみが影響して押す人間はへとへとになる。
雨が一時激しくなり、人間は泥まみれになりながら窯にビニールシートをかけて濡らさないよう最大限の注意を払う。30cm、50cm、と進みようやく道路 まで運び出し、パワーゲートをバックで寄せていざゲートに全員で乗せる。ゲートを操作するがウィーンと音をたてて、ゲートは上がらない。エンジンをかけて やってみる。やはりゲートは全く動く気配を見せない。何かがおかしい。
近隣からフォークリフトを扱う人に来てもらう。フォークリフトで片方をゲートにかけてもちあげ、両方の力で何とか持ち上げられないか?1トンのフォークリ フトを扱うその人はフォークリフトではかなり窯を傾けて持ち上げることになりレンガが痛む可能性がある、という。近隣の人も含め10人ほどであれこれ意見 を出すがやはりフォークリフトでは無理という結論になった。
レンタ カーの会社に電話する。もう6時過ぎてかなり暗くなっている。作業する人間も疲れ果てている。いろいろ調べてもらいやっとわかったことは、このパワーゲー トが600キロしか対応しない、ということだった。これは夢にも考えられない事だった。実際に1トンまでOKという確認を何度もして借りたのだ。まさか車 自体が600キロしか許容加重がないなどと想像もしなかった。担当の人自身1トンと信じて疑っていなかった。担当者も責任を感じてあちこち車を手配してく れるがすでにしまっている会社も多い。
やっとクレーン車を扱ってい る会社を見つけたと連絡が入る。車で20分離れた会社までクレーン車を見に行く。するとクレーンは車体床から1.3メートルしか高さがない。それでは 1.5m高の窯は乗せられない。結局、日を改めて車と人を手配し、移動させようと決める。幸い道路は庭の延長のような私道で窯をすみに置く事ができる。雨 がかからないよう、保管中に事故がないように注意して道路際の家に寄せて置く。みんな汗と泥と雨でぐったりと疲れた、事故がなかったことはありがたい。
某月某日
保管中は窯が心配で何度か様子を見に行く。やっと人と新たなパワーゲートを手配できて移動の日がきた。今度は正真正銘の1トンのゲートを持つ4トントラックだ。宅急便のトラックが普通2トンだから、4トン車はまさに「巨大」でしかもトレーラーのように長い!
今回はトラックが大きすぎて私道に入らないため窯をキャスターに乗せたまま大通りまで移動させる。そしてパワーゲートに乗せる。といっても簡単に事が運ん だわけではない。窯の重量でゲートになかなか乗せられないのだ。ゲートは坂になっていて乗せたと思うとゲートのストッパーが外れて、という繰り返しの末、 ジャッキを使い人力を使い知恵を使ってやっとトラックに乗せた。
5時近くになっていた。トラックには2人しか乗れないので他にワンボックスとの2台でそのまま関越へ。みんな力を出し切っているので安全をみて上越で一泊。翌朝石川県へ向う。
窯の移設先は保存建築物で昔の蔵を改造した工房。蔵への入り口は蔵特有の大きな登り框がある。これはいくら何でも乗り越えられない。そうかといって屋内の 作業なのでクレーンなど使いようもない。せめて全面の扉をはずして、と窯の扉を解体し始めるとこの扉自体が途方もない重さである事が判明。扉だけでも男性 4人では受ける事もできない。前面扉だけで3、400キロはあるのではなかろうか。半端な重さではない。日本の窯はなんて重いのだ!!重いなんてもんじゃ ない。少しは軽く作る努力をすれば良いのに、と、こんな事を言うとどこからか怒られそうだ。
ジャッキで窯の両足の高さを徐々にそろえて上げて行く。50cmもの框の高さにしてからスライドさせて窯の片足を框の向こうに移動させる。しかも框は階段状になっていて幅が1メートル以上ある。そこを超えなければならない。
幸い天井に太い梁が残っている。そこに1トン用のロープをかけ、窯の片方を通す。名前は知らないが重量物を留める時に使用する大きな金属の道具でギコギコ とロープを引いて少し窯が持ち上がる。そこで窯の足を1メートルの框をまたがせる。そして10cm移動。反対の足にロープをかけ直しまたそろそろと進め る。慎重にそれを繰り返し、両足の高さをそろえやっと向こう岸に渡らせる。またジャッキで数センチずつ片足をおろしていく。こんな事をそろそろじわじわと 果てなく繰り返し、途中で窯が傾きかけてあやうく業務災害になりかねない状況に会いながらフーっ、ロープをはずして窯場にやっと移設完了。
午前中に作業を始めてからまた夜になってしまう。このまま帰路につくにはみんなあまりに疲労困憊していて運転も危険だ。幸いそこの家は広さが十分で母屋に 泊めてもらうことになった。そこで東京組5人は近所のお風呂屋さんで汗をながし、食事を済ませて仮眠。保存建築物の母屋には祖先の遺影がじっと見下ろして いる。広ーい畳があるのに私たちは何となく怖くて男女5人一部屋に固まって寝る事にする。夜中2:30起床、3時出発。
途中で夜が明ける。空いていて走りやすい。誰も怪我をすることもなく、無事作業を終える事が出来たのがありがたい。でもつくづくと思う。窯を移動できない のでこのまま残して行く、とか新しく窯を買うほうが現実的だ、という声を良く聞く。それが今理解出来る。無理もない、人と手間と時間、費用を考えたらこん な作業を普通は受けないだろう。
けれど一方で思う。使い慣れた、思い入れのある窯、自分が初めて持った窯、作品を生み出し続けた窯。自分そのものの時を刻む窯。私だって、場所をとると顰蹙を買いながら日本の窯を手離せないでいる。
窯の移動はどうしたって利益にはならない。今回は大きく持ち出しになった。でもお客さんの気持ちはわかるし、出来る時には引き受けよう。
この移動にはまだオチがある。帰りの北陸自動車道でのことだ。夜が明けた頃、名立谷浜のサービスエリアでガソリンの補給をした。4トン車の左にガソリンス タンドを挟んでワンボックスを止め給油を見ていた。トラックの給油が終わり今度はこちらのワンボックスにガソリンを入れ始めた。何気なく見ていたら、ト ラックがエンジンをかけるなり、運転席の下が火を噴いた。
ガソリン スタンドの人は見て見ぬふり、知らん顔している。エンジンがかからず、運転していた技術の加藤さんが降りてくる。「今、火が出た」と知らせると彼は運転席 の下を点検する。そうしたらやっとスタンドの人が「今火を噴きましたね」と。そして他の車が来るからもっと先に移動して点検しろ、と言う。加藤さんが運転 席にもどりもう一度エンジンをかけるともっと大きく火を噴いた。私は思わず、「危険な事がわかっているのに移動させるなんておかしいんじゃないですか?」 と言い、さすがにスタンドの人も今度は何も言わない。
結局加藤さん がトラックの下に潜りバッテリーターミナルのネジが緩んでいて溶接と同じ状態になったとわかった。半分溶けかかったターミナルを工具を出して締め直す。 バッテリーはガソリンタンクのすぐ近くにあるのだから大きな事故になった可能性もある。ガソリンスタンドの人は高速を走る車の、とはいわないまでも自分の スタンドに立ち寄った車に対して安全を見守る責任があるのではないか。幸い大事にはいたらなかったものの、私が見ていなかったらあのままトラックを行かせ たのだろうか。もう一度エンジンをかけたら危険な事を承知で、しかも明け方の誰も他にお客さんのいないスタンドで移動させろ、と言うだろうか。朝で不機嫌 なのはいい。そんな事は関係ない。でも職業に対する真摯さと責任感が欠けている、とおおいに憤慨したことだった。
最初の、ゲート重量不足のトラックに始まり行きにはワンボックスのラジエータの加熱、帰りはトラックのバッテリーターミナルの発火、ハプニング続きだった。その中で誰も怪我がなく、無事に設置できた事は何よりうれしい。でも900キロって半端じゃない。
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