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Showing posts from November, 2006

不機嫌病の世代—アドビの講演から

国際フォーラムで開かれたADOBE ACROBAT 8のプロモーションイベントに行ってきた。明治大学文学部教授齋藤孝氏の講演があり、「つまらないおじさんの話」という声もあるにはあったが、私は「中年の男性は不機嫌病にかかっている」という指摘一言で断然気に入ってしまった。題名は「脳を混ぜあうー知の交換と共有によるチーム力向上の極意」。製品の機能紹介と思って参加した私にとってイベント自体は成果なかったが、まあこのレクチャーは納得だ。 「冷えた身体からは良いアイディアは生まれない」「思考は身体的作業を模倣する。また身体的作業には行為の歴史が組み込まれている」つまり「思考は身体に支配されており、それを磨く事で思考も磨かれよいアイディアも生まれる」のだ、と。 結局リーダーが上機嫌でいることが大切。上機嫌でプレッシャーをかけるのが良いアイディアを引き出すことにつながるという。そして女性の方がアイディアを多く出す、男性は女性に比べて固まりやすいープライドが高く心が固い、そこからは良いアイディアは生まれない、と。特に団塊の世代の男性は不機嫌病にかかっている、という。利益を生み出す新しいプロジェクトをリード出来るようなリーダーは上機嫌でいることが大切、という上機嫌な教授の講演であった。 団塊の世代の男性が不機嫌で心が固いという表現には全く同感だ。見回してみると仕事も家庭も不機嫌病という男性が多い。いつも機嫌良く楽しいという男性はたった一人しか知らない。人間だから常に上機嫌でいることは難しいと思うけれど、誰だって不機嫌な人のそばにはいたくないし近寄りたくないだろう。 団塊の世代まっただなかの男性にこの講演の話をしてみる。 「本当、そういう奴が多い。クラス会に行っても話が合うのはほんの少ししかいない。仕事もできないのにプライドだけが高くて柔軟な考えが出来ないのが多いよ」 この人は自分の生活自体が自立している。天気が良いと今日は洗濯日和だ仕事に出る前に干して行こうと思う、と言い休みには山や美術館を巡る。 他の男性。やはり団塊と言われる世代。 「しょうがないでしょう不機嫌な人がいても。会社ではそろそろ定年。役職があってももう辞める人と思われてる。家では妻が自分の生活を楽しんでいる。他に就職をさがせと言わんばかり。自分は飲み仲間と楽しむ機会があるからいいけど、何もなかっ

日本製電気窯の移設顛末記 東京から石川県へ

過去のコラムより 06.10.10 窯の移動や移設を時折請け負う。今回は日本製電気窯15キロワットだ。長距離の上に現設置場所と移動先の設置条件が考えられないほど厳しい。窯の重量は約900キロ。 某月某日 1トンのパワーゲートを準備して工房から窯を運び出す。これは雨も降っていた為に、ぬかるみの土で足場も悪く、工房から道路まで取り出すのに7人で6時間かかる。   まずヒュース・テン特製のキャスター板を2枚準備し、窯の足をジャッキで片側ずつ持ち上げてキャスターに乗せる。窯場からやや坂になっている地面に合板を 敷詰めてそろそろと移動を始めると24ミリの合板がメリメリと音をたてて一つのキャスターが沈み込む。地面が平でないために3枚敷かないと板が重みでし なってしまい動かないとわかって合板を買い足しに走る。  キャスター 一個の許容加重が400キロなので一枚に5個使い2トンに耐えるキャスター板を2枚使用、合計4トンに耐えられる計算だが、窯を乗せてでこぼこの地面を移 動させるのはキャスター板にとってもかなりつらい。わずか5ミリの板の段差でもその下のぬかるみが影響して押す人間はへとへとになる。   雨が一時激しくなり、人間は泥まみれになりながら窯にビニールシートをかけて濡らさないよう最大限の注意を払う。30cm、50cm、と進みようやく道路 まで運び出し、パワーゲートをバックで寄せていざゲートに全員で乗せる。ゲートを操作するがウィーンと音をたてて、ゲートは上がらない。エンジンをかけて やってみる。やはりゲートは全く動く気配を見せない。何かがおかしい。   近隣からフォークリフトを扱う人に来てもらう。フォークリフトで片方をゲートにかけてもちあげ、両方の力で何とか持ち上げられないか?1トンのフォークリ フトを扱うその人はフォークリフトではかなり窯を傾けて持ち上げることになりレンガが痛む可能性がある、という。近隣の人も含め10人ほどであれこれ意見 を出すがやはりフォークリフトでは無理という結論になった。  レンタ カーの会社に電話する。もう6時過ぎてかなり暗くなっている。作業する人間も疲れ果てている。いろいろ調べてもらいやっとわかったことは、このパワーゲー トが600キロしか対応しない、ということだった。これは夢にも考えられない事だった。実際に1トンまでO

サムソンのこと

過去のコラムより 06.9.11 「優秀なウェブデザイナー」−といったらきっと昔のサムソンは怒っただろう。 サムソンはヒュース・テンのホームページを立ち上げ、管理してくれている人だ。香港で生まれ育ち、小学校でイギリスに留学、イギリスのパスポートを持つ。 日本のICU大学に留学して卒業、今のところ日本で生活している。時々エチオピアに行って写真を撮っている。カメラマン、ウェブデザイナー、英語教師。そ の中で彼が「優秀な」といわれて納得するのは職業としてのカメラマンだ。 主に舞台の写真を撮っているけれど写真の仕事だけで食べて行くのは難しい。そこで彼は写真以外の才能も発揮させる。英語教師としては引っ張りだこなので、 時々エチオピアに消えても生徒は待ち続けてくれる。ウェブデザイナーとしては友人と事務所を開き、いくつもホームページを立ち上げて実績がある。多才、と いうのは彼のような人を言うのだろう。自分では写真にこだわりがあるのだろうけれどコンピュータの知識、手腕、は普通人の追従を許さない。インターネット のページを開くと一瞬(と私には思える)のうちに、ページを読み内容を理解する。 自分が関わったホームページに次々と新しい、より優れた方法を見つけて取り入れる。ショッピングカートの仕組みをたちどころに調べて構築する。そんなわけ でヒュース・テンのホームページも常に前進している(のだがあとは私たちの準備しだいだ)が、なかなか彼の更新の要望に追いつけない。若者らしい純粋さと 繊細さ、時に押しの強さや性急さとで社会や私たちに怒ったり憤ったり。そうかと思うと自信にあふれた言葉のすぐうしろに傷ついたサムソンがいる。   彼はたった4年日本の大学に行っただけで日本語をほぼ完璧にマスターした。読み書きでさえ。香港語(広東語や北京語ともかなり違うという)ともいうべき中 国語は母国語だから当然だがその他に英語と日本語がこれほどできればまず何をしても食べていかれるだろう。けれど青臭いサムソンは、自分はコンピュータの 知識で見られたくない、と肩ひじをはっていた。サムソンにとって英語や日本語の語学力で見られることはなおさら不本意だった。コンピュ

アスベスト考-2

過去のコラムより 06.1.24 「貴方がここで出されたり購入したりする飲料や食物には、がんや 先天性欠陥症の原因となる化学物質が含まれていることがあります」 カリフォルニア州のホテルで、部屋にあるルームサービスメニューに、 「警告」の文字と共にそう書かれていた。 さらに、「フ レンチフライなど、高温で揚げた食物は、がんの原因と なるアクリルアミド等を生成し、、、、ほとんどの魚介類にはがんや 出生異常を引き起こす水銀が含 まれています。特に子供や妊婦は メカジキ、サバ、甘鯛などは避ける必要があります。、、、、、、 ビールやワイン等蒸留酒もがんのリスクを大きくします」 と、細かく記載されている。 別のホテルでも同じように「警告」と書かれたページが部屋の小冊子に挟んであった。   カリフォルニアで弁護士をしている知人にその話をしたら、州の条例で そう書かないといけないことになっているのだという。いかにもアメリカ らしい裁判対策であるとも受け取れるが、彼は続けて、 「道 路の脇に敷いてあるじゃりが見えるでしょう?この両脇にずっと続く 緑色の石はアスベストの原石で、これが大きな問題になっているのです。 カリフォルニ アに広く分布している石なので、その繊維が車の通行によって 細かくくだかれて飛び散ったり、地下水にも含まれる可能性を指摘されているのです」 と言う。 カ リフォルニアでは州政府が危険性の明記を定めているということだが、 いわばこれは世界のどこででも起こり得る危険性だろう。化学物質にいたっては タバコに 限らず様々な物質ががんの危険性が指摘されているし、調べてみると アスベストは日本でも熊本県宇城(うき)市で1970年まで採掘され、 石綿製品の製造は 1983年まで行われている。 イギリスの鉱山会社ケープ社はイギリスの石綿工場を68年に閉鎖したのに、 南アフリカでの操業は79年まで続けたという。その主な輸出先には 日本も含まれた。 ア スベストは日本中で、また世界各地で石綿は安価で便利な材料として 使われてきたのだ。身の回りに存在するのだから、個人のレベルでは せめて防塵に注意をは らう、とか他に飛散するのを防ぐように取り扱う とかを心がけるしかないだろう。これからも、今まで日常に使われて いたものがある日突然危険だと

アスベスト考-1

過去のコラムより 06.1.24 アスベストの被害が明らかになってきている。ヒュース・テンでも こんなことがあった。技術の人と二人で関西のある陶芸家のところに エレメント交換に行った時のこと。 出張交換の依頼の電話を受けて、 「そちらでは以前窯にセラミックファイバーを巻いていらっしゃい ましたよね、、、」と言いかけると 「あ、はずしておきます、はずしておきます」との答え。東京からの 日帰り仕事なのですぐに仕事にかかれるよう配慮してくれたのかな、 と思って電話を切った。 当日、そこに伺うと、まだ窯のまわりにはセラミックファイバーが まいたまま。ふたのところだけ針金を外してある。窯を分解して エレメント交換をするので、技術の人が巻いてあるセラミック ファイバーを外していたら窯のオーナーが、 「これってアスベストですかね、セラミックファイバーでしょうか」と聞く。 「さあ、アスベストはテレビでしか知りませんが、セラミックファイバー じゃないですか?以前使っていらしたのですよね」と私。 さわってこすったりつぶしたりしてみたがよく分らない。アスベストは 見た事がないのだし。セラミックファイバーよりちぎれやすくふわっと している気がしたがまあ古いからだろう。 何年も前、アメリカの窯をそのまま持ってきたが温度が上がらない、 どうしたら良いか、と問い合わせを受けた時に、改造には費用がかかる ので、低温焼成をするだけならセラミックファイバーでも巻いたら 多少違うのでは?とアドバイスをしていた。 その後新しい窯をうちから買ったので温度は十分上がるはずだが、 とってあったのを使ったのだろう。 技術「もう10年以上前からアスベストなんて買えないと思いますよ、 禁止されていますから」 オー ナー「いやあ、○○(陶芸用品の会社)に電話したらすぐ送って きましたよ。簡単に。それに、うちでは叔父が退職する前大量に アスベストもらっておいた んです。叔父が勤めていたのはあの、 騒がれているクボタなんですよ。溶鉱炉にまだ沢山使ってましたから。 私なんかもうそれを沢山吸い込んでいますよ」 私「、、、?」 吸い込んでも影響が出る

再びルーシー・リー展

過去のコラムより 05.9.10 「2002年の「ル−シー・リー展 静寂の美へ」に続き今回も、9/10日から 始まるニューオータニ美術館の「ルーシー・リー 器に見るモダニズム」を お手伝いさせていただいた。 カタログもヒュース・テンで編集発行する。その写真撮影を信楽展で 実現出来なかった畠山崇さんにお願いすることにした。アメリカと日本を 行き来する仕事の合間に東京に来られた一日、無理をお願いして美術館に 来ていただく。  畠山さんのシャープで緊張感あふれる写真はまさにルーシー・リーの 作品にぴったりだ。時間と予算の関係で10カットを撮るが、あとから 集荷される作品は間に合わない。そこで友人の紹介でカメラマンA氏に 残りの写真を撮っていただくことにする。 「いつも手伝ってくれるわけではないんですが、ルーシー・リーの 作品は見たい、と言うので」ということでA氏の奥様もアシスタントとして 一緒に来られ る。撮影は一日。撮れるところまでということでディテールも 含めてかなりの数を撮っていただく。展覧会のカタログとして私が企画 した中では初めての、デジ タルによる写真となる。(「あとの」を取る) その撮影にも間に合わない作品はディーラーの方がすでにもっている データを使わせてもらい、また「目の眼」の カメラマンによる写真もお借りする。 カタログのデザインは前回のルーシー・リー展の会場設計も手掛けている アトリエ71。デザインは建築家の視点なのでいつもおもしろい発見があり 評判が良い。 しかしなにしろ時間がない。言い訳にはならないが、写真の時間もない、 原稿にも時間をかけられない、ロンドンからの借用もぎりぎり。作品の 写真はもちろ ん間に合わないので送られて来たデータで入稿。最終校正が 月曜、オープンの土曜の朝ぎりぎりにカタログが届く事をひたすら願って 、というタイトスケジュー ル。 けれど今回は「静寂の美」で大きな人気を誇った一点を除いて多くが日本で 始めて紹介される作品である。バラエティーに富み非常に作品の質が高い。 またもう一つの見どころはバーナード・リーチのルーシー・リーに宛てた 最後のメッセージが世界で初めて公開されることだ。 このメモの重大性を見る時、捨てられたかもしれないこの手紙の下書きを よくぞ探し出してくれた、そしてよくそれをルーシーに届けてくれた、と この

会社にとって最も大切なこと

過去のコラムより 05.6.11 ヒュース・テンのホームページがリニューアルされ、コラム欄を 書く事に なった。ヒュース・テンという会社として、と同時に会社を 離れた立場からも 陶芸・美術の折々を記していきたい。 近頃新聞を賑わせたライブ・ドアとフジテレビの動きの中で 「会社は誰のものか」ということが話題になった。「もの」という 言い方は おかしいが、それぞれ立場によって、主体は株主である、 いや、経営陣だ、 あるいはリスナー(日本放送の場合)である、等。 これは会社の規模や 職種、社会的条件等、立場で変ってくるだろう。 しかし「会社にとっても最も大切な事」は会社の規模や条件に関わらず 共通していると思われる。それは会社が存続する事。存続して常に 変らぬ (より良い)サービスを提供できる事、につきると思う。 ヒュース・テンは 常に「使う立場に立つ」事を意識している。ユーザーに とってどうか、 使い易いか、自分がユーザーだったらどう望むだろう、 と。そして その姿勢を可能にするのは「会社が常に在る事」だ。 10年ほど前、ヒュース・テンのエクセルキルンと同等のスカット窯を 初めて日本に紹介した陶材人という会社があった。陶材人が諸事情から 会社を止めて窯の修理やメンテナンスの依頼先が突然なくなった時は ユーザーたちの 間で大きな問題になった。急に連絡がとれなくなった為、 窯について問い 合せることも、エラーメッセージの内容を聞く事も できなくなったのだ。 その頃雑誌に掲載していたエクセルキルンの写真を見て「写真を見ると 自分の窯と似ているが自分の窯の修理をお願い出来るだろうか」という 問い合せ をかなり受けた。「聞くところもなくどうしたら良いか とても困っていた、 本当に助かった!」と。それまでに陶材人は 沢山の窯を販売していたので 多くのユーザー達が途方にくれたのだ。 「お宅はなくならないでしょうね。 頼みますよ、続けてください」とまで おっしゃる方もいた。それだけ困っていたと いう事だろう。 実際その当時スカット窯にはいろいろ 問題が生じていて原因を探るため アメリカから 調査員が送られてきたほどだ。メーカーでも結局はっきりした 原因はわからず、 日本独自の磁場が関係しているのでは、というに とどまった。ヒュース・テンの 技術はコントローラの変更に伴う一時的な もの

Most beautiful and Most cruel

過去のコラムより 04.3.5 「Most beautiful and Most cruel 最も美しく最も残酷な写真」       イラク侵攻の朝に 写真はNew York Timesより 掲示板でイラクのことが話題になっていますので、New Yorl Timesの一面で大きく掲載されていた 写真をご紹介します。美しく晴れ渡った空、緑の野、のどかな背景に人々の姿。 けれど、タイトルには、戦争を逃れてき た家族とあります。 アメリカがイラクに侵攻した日の新聞。