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Showing posts from 2011

伸びやかに生きた・無惨に死んだ

伸びやかに枝を広げる木 この幹の根元は厚さ3センチ、石畳の目地の幅 地上から2、3センチ立ち上がったところで お尻を突き出した形になった 横幅は17、8センチ 左の石畳をかすかに持ち上げているのがわかる 無惨に刈られた根元 ヒュース・テンのある西武新宿線下井草駅。 その駅前に伸びやかな姿の木があった。 人の背丈を優に超えて涼しげに葉を茂らせていた。 よく見ると根元は3センチほどの太さ。 横幅は17、8センチにも広がっている。 石畳の隙間から健気に育ち、石畳のすぐ上からは太さが 直径10センチ以上になっている。 なんとたくましい生命。がんばれ! ポールに寄り添って、けれど一人で凛と 立ち上がっていた。 もう少しで涼しげな木陰をつくるはずだった。 ある日。木は影も形も無くなっていた。 無惨に切り取られた切り株。 切り株は木の秘密を明らかにした。なんと 幹をTの字(かすかに十字になりつつあった!) にして身体を支えていたのだ。 石畳の隙間から幹を伸ばし、石畳を超えると だんだん樹木らしい体裁を整えて太い幹に育っていた。 なんという生命力! 何故生き延びさせてあげなかったのだろう。 目の前にある交番なのか杉並区なのか。しかも 切ったのではない、まるで力任せに叩き壊したような 切り株。誰も気がつかないように通り過ぎる。

福島の陶芸家・渡部さんの電気窯と東北電力

渡部さんの工房。手作りの道具類が沢山。 福島の郡山市にお住まいの陶芸家、渡部功さんから窯の温度があがらないので見に来て欲しいと連絡をいただいた。渡部さんはスカットのモデル 1027、三相をお使いだったが、代理店がなくなってしまったため困り果ててヒュース・テンに連絡して来られ、それ以来長いおつきあいをさせていただいている。 何年か前には、体力がなくなったのでもう少し浅い窯にしたいというご希望で2段の窯に改造した。 99年に初めて連絡いただく前にすでにお使いだったのでもう15年くらいは経った窯だろう。 今回はその窯の温度が上がらないということで福島に伺った。ヒュース・テンの技術、Kさんが窯や部品、配線を点検していくがどれにも問題がない。だが、大元の電源を調べると三相の窯なのに3本のケーブルのうちひとつに電圧が来ない。電源に 100Vしか来ていないのだ。 これはもう窯側の問題ではない。壁から外の電力会社側に原因がある。東北電力に連絡するとすぐやって来てこちらの説明で電柱を調べてくれる。案の定電柱から渡部さんの工房に来ているケーブルのヒューズが一個切れている事がわかった。他も劣化しているので3つとも交換します、と言ってくださる。 道ばたの電柱にヒューズがあるなんてほとんどの方はご存じないだろう。電柱が近くて良かった、それに東北電力にすぐに対応してもらえてありがたい。窯は元通り、温度も上がり無事に作業を終えた。 窯の問題ではなく、電柱や電源、電気会社に原因があることが少なくない。こういう事態はやはり電話だけのやりとりではわからないだろう。来て良かった、と改めて思う。 ところが3ヶ月経たずにまた温度が上がらない。期せずして地震後の工房に2度おじゃますることに。今度はエレメントが一本切れていた。「年だから新しい窯を買っても仕方がないか、、」とおっしゃるが、窯をきれいに使っておられるのでエレメントやリレーなど部品を替えればまだ立派に使える。 ところで渡部さんは今年 11月で満90才になられた。3月11日の東北大震災の時は工房で仕事をしておられ、作品はほとんどが破損したということだが、それでもまた工房で仕事を再開された。殆ど毎日作業しておられるという。 郡山市に移られる前は会津で本郷焼き窯元でろくろ師をされて

ウィーン工房1903-1932 10.8 - 12.20

福島の陶芸家・近藤学氏の『月光』

福島県双葉郡浪江町、と聞いて人は何を思い浮かべるだろうか。 3 月 11 日以降、その地名の与える印象は大きく変わってしまった。 3 月 11 日以前は、陶芸を愛する者にとってまず思うのは「大堀相馬焼」( http://toukichirougama.com/index.html )だった。 今はもちろん、東日本大震災で壊滅的な被害を被った太平洋沿岸の町として記憶される。また福島第一原子力発電所事故によって半径 20 キロ圏内全域に避難指示の出された町として。 その浪江町にお住まいだった陶芸家・近藤学氏から「第 43 回日展に入選した」とのうれしい知らせを頂いた。氏は過去にも日展に入選しておられ、国の伝統工芸品に指定されている大堀相馬焼の陶吉郎窯の窯主として活躍しておられた。 ご自宅は原発から 10 キロにあり、 原発の事故後、着の身着のまま家を後にせざるを得なかった多くの避難人口のお一人だ。 「精神的には、しっかり地に足をつけて強い気持ちを持って頑張ろうと思ってはいるのですが、何故か夢の中にいるような時があります」 「何もかもが不安で、いろいろ考えると気が滅入ってしまうので、おかれた現状の中で精一杯やるしかないと割り切ることにしました」 とご自身のブログ( http://blog.toukichirougama.com/   )で揺れる心を書いておられる。 日展出品が復興の第一歩と位置づけておられたとのことで、まず目標のひとつを達成されたということだ。経験しないものには想像も出来ないほどの困難な思いをされていることだろう。微力ながら応援させていただきたいと願っている。

安藤郁子展 10.18 - 10.30

岳中爽果 『暮らしのなかのみどり』9.13 - 9.25

東京の吉祥寺に工房を構える陶芸家・岳中爽果さんからヒュース・テンの設立 20 周年おめでとうございます、というお便りと共にうれしいプレゼントをいただいた。 事務所の誰もが忘れていたのだが、ヒュース・テンの設立は 1992 年のことだ。間借りしている「ヒュース・テン」という名前のマンションに小屋を建てかけさせてもらい、小さな工房兼陶芸機材輸入業としてスタートした。会社の名前もビルの名前そのものから取っている。それが今年 12 月で丸 20 年になる! それに気がついてくださるとは。しかもお祝いを頂くなんて身に余る光栄だ。いつも窯のメンテナンスに伺う時、すばらしい器たちだなあ、と思っていた。それらの掻き落としのおちょこととっくりのセット。 うれしくてみんなで並べて写真を撮り、作品も飾ってある。近いうちにお酒で乾杯をしなくては!手の中にすっぽり包み込める大きさ、軽やかさ。ルーシー・リーを思わせる気品のある優しさだ。 今年はオンラインショップも我がウェブデザイナー、サムソンのおかげで一新して大きく見易くなった。 HP も新たに美しいページになった。いろんな方のおかげで丸 20 年を迎える。感謝の気持ちを込めてキャンペーンやワークショップを計画したいと考えています。岳中さんありがとうございます!

アメリカンラクーの創設者ポール・ソルドナー氏逝去

from Soldner's HP 陶芸の名門スクリップス・カレッジで長く教授であった ポール・ソルドナー氏が1月3日、クレアモントの自宅で 亡くなった。89才だった。 60年代のアメリカ西海岸での陶芸で大きなエネルギーを 生み出した陶芸家の一人が ポール・ソルドナー だ。 ピーター・ヴォルコスの教える最初の大学院生として 陶芸機材もゼロからのスタートだった。ジャンクから 創り出したろくろはカリフォルニアのスタンダードに なったほどだ。 また、なんといっても彼の名前は、今や世界に名高い アメリカン・ラクー技法を打ち立てたことで知られる。 焼成後の作品を取り出して新聞紙やおがくず、枯れ葉など 身近なもので還元する方法で場を盛り上げる天才だった。 その業績は4日の ロスアンジェルス・タイムズ紙 に 紹介されている。NCECA(エヌシーカ)と呼ばれる 全米の陶芸会議が毎年春に開かれるがその重鎮でもあった。 飾らぬ人柄は多くの人に親しまれ、毎年NCECAでは ポスターにサインをして配っていた。ポスターとは 毎年、決まって自身を含めた全員がヌードになった写真だ。 またジャズのアドリブ性に影響を受けた世代だよ、と 自分を語っていた。身近な材料や身の回りのできごとに 即興性で対応するのが得意な、という意味だろう。