過去のコラムより
05.6.11
ヒュース・テンのホームページがリニューアルされ、コラム欄を
書く事に なった。ヒュース・テンという会社として、と同時に会社を
離れた立場からも 陶芸・美術の折々を記していきたい。
近頃新聞を賑わせたライブ・ドアとフジテレビの動きの中で
「会社は誰のものか」ということが話題になった。「もの」という
言い方は おかしいが、それぞれ立場によって、主体は株主である、
いや、経営陣だ、 あるいはリスナー(日本放送の場合)である、等。
これは会社の規模や 職種、社会的条件等、立場で変ってくるだろう。
しかし「会社にとっても最も大切な事」は会社の規模や条件に関わらず
共通していると思われる。それは会社が存続する事。存続して常に 変らぬ
(より良い)サービスを提供できる事、につきると思う。 ヒュース・テンは
常に「使う立場に立つ」事を意識している。ユーザーに とってどうか、
使い易いか、自分がユーザーだったらどう望むだろう、 と。そして
その姿勢を可能にするのは「会社が常に在る事」だ。
10年ほど前、ヒュース・テンのエクセルキルンと同等のスカット窯を
初めて日本に紹介した陶材人という会社があった。陶材人が諸事情から
会社を止めて窯の修理やメンテナンスの依頼先が突然なくなった時は
ユーザーたちの 間で大きな問題になった。急に連絡がとれなくなった為、
窯について問い 合せることも、エラーメッセージの内容を聞く事も
できなくなったのだ。
その頃雑誌に掲載していたエクセルキルンの写真を見て「写真を見ると
自分の窯と似ているが自分の窯の修理をお願い出来るだろうか」という
問い合せ をかなり受けた。「聞くところもなくどうしたら良いか
とても困っていた、 本当に助かった!」と。それまでに陶材人は
沢山の窯を販売していたので 多くのユーザー達が途方にくれたのだ。
「お宅はなくならないでしょうね。 頼みますよ、続けてください」とまで
おっしゃる方もいた。それだけ困っていたと いう事だろう。
実際その当時スカット窯にはいろいろ 問題が生じていて原因を探るため
アメリカから 調査員が送られてきたほどだ。メーカーでも結局はっきりした
原因はわからず、 日本独自の磁場が関係しているのでは、というに
とどまった。ヒュース・テンの 技術はコントローラの変更に伴う一時的な
ものだったのではないかと見ている。 そんなこともあって陶材人は自社の
「陶材人窯」を開発したが結局それもうまく いかなかった。
陶材人とヒュース・テンはいわば窯に関して競合する立場にあり、
また陶材人の 倒産によって未収金の損害も受けた。しかしそのオーナーである
イギリス人、 ホランドさんは良くも悪くも非常に魅力と才能に溢れる人だった。
ヒュース・テンでは 以来スカット窯や陶材人窯の修理も受けて来たが、
同じように損害を被った人たちに、 半ば懐かしんで「ホランドさんは
どうしているんでしょうね」と聞かれる事がある。 ホランドさんは会社を
閉じる前、毎日毎日ヒュース・テンに電話をしてきた。決まって
「商売どう?」と言って。正直その回数と長さ(話しだすと30分にも
40分にもなった) に閉口することがあったが、それはそれで電話がないと
「どうしたのだろう?」 と思わせるような憎めない人だった。ホランドさんに
ついてはまた別の機会に書こうと思う。
会社が存続するという事はユーザーにとっても、また社員にとっても大事な事だ。 その責任を重く自覚して業務に励みたいと思っている。
05.6.11
ヒュース・テンのホームページがリニューアルされ、コラム欄を
書く事に なった。ヒュース・テンという会社として、と同時に会社を
離れた立場からも 陶芸・美術の折々を記していきたい。
近頃新聞を賑わせたライブ・ドアとフジテレビの動きの中で
「会社は誰のものか」ということが話題になった。「もの」という
言い方は おかしいが、それぞれ立場によって、主体は株主である、
いや、経営陣だ、 あるいはリスナー(日本放送の場合)である、等。
これは会社の規模や 職種、社会的条件等、立場で変ってくるだろう。
しかし「会社にとっても最も大切な事」は会社の規模や条件に関わらず
共通していると思われる。それは会社が存続する事。存続して常に 変らぬ
(より良い)サービスを提供できる事、につきると思う。 ヒュース・テンは
常に「使う立場に立つ」事を意識している。ユーザーに とってどうか、
使い易いか、自分がユーザーだったらどう望むだろう、 と。そして
その姿勢を可能にするのは「会社が常に在る事」だ。
10年ほど前、ヒュース・テンのエクセルキルンと同等のスカット窯を
初めて日本に紹介した陶材人という会社があった。陶材人が諸事情から
会社を止めて窯の修理やメンテナンスの依頼先が突然なくなった時は
ユーザーたちの 間で大きな問題になった。急に連絡がとれなくなった為、
窯について問い 合せることも、エラーメッセージの内容を聞く事も
できなくなったのだ。
その頃雑誌に掲載していたエクセルキルンの写真を見て「写真を見ると
自分の窯と似ているが自分の窯の修理をお願い出来るだろうか」という
問い合せ をかなり受けた。「聞くところもなくどうしたら良いか
とても困っていた、 本当に助かった!」と。それまでに陶材人は
沢山の窯を販売していたので 多くのユーザー達が途方にくれたのだ。
「お宅はなくならないでしょうね。 頼みますよ、続けてください」とまで
おっしゃる方もいた。それだけ困っていたと いう事だろう。
実際その当時スカット窯にはいろいろ 問題が生じていて原因を探るため
アメリカから 調査員が送られてきたほどだ。メーカーでも結局はっきりした
原因はわからず、 日本独自の磁場が関係しているのでは、というに
とどまった。ヒュース・テンの 技術はコントローラの変更に伴う一時的な
ものだったのではないかと見ている。 そんなこともあって陶材人は自社の
「陶材人窯」を開発したが結局それもうまく いかなかった。
陶材人とヒュース・テンはいわば窯に関して競合する立場にあり、
また陶材人の 倒産によって未収金の損害も受けた。しかしそのオーナーである
イギリス人、 ホランドさんは良くも悪くも非常に魅力と才能に溢れる人だった。
ヒュース・テンでは 以来スカット窯や陶材人窯の修理も受けて来たが、
同じように損害を被った人たちに、 半ば懐かしんで「ホランドさんは
どうしているんでしょうね」と聞かれる事がある。 ホランドさんは会社を
閉じる前、毎日毎日ヒュース・テンに電話をしてきた。決まって
「商売どう?」と言って。正直その回数と長さ(話しだすと30分にも
40分にもなった) に閉口することがあったが、それはそれで電話がないと
「どうしたのだろう?」 と思わせるような憎めない人だった。ホランドさんに
ついてはまた別の機会に書こうと思う。
会社が存続するという事はユーザーにとっても、また社員にとっても大事な事だ。 その責任を重く自覚して業務に励みたいと思っている。
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